International Professional University
of Technology in Tokyo
学長メッセージ
東京国際工科専門職大学 学長
吉川 弘之
【第6回】学問と実務を学ぶ
専門職大学は学問と実務とを並行して学ぶ大学である。この両者を身に付けたものが専門職となって社会に出てゆき、学問的知識を社会にある多様な課題に自在に適用して解決しながら善き社会を作るために貢献する――。
このことは、今までの本欄でもたびたび触れましたが、改めてここで、学ぶべき学問、実務とは何かについて考えることにします。
まず、学問と一口にいっても、それは多様な種類を含んでいます。一つ一つを学問分野と呼んでもよいでしょう。宇宙の秘密を解き明かす宇宙物理学もあれば、日本古代の和歌とは何かを説明する日本文学もあります。この例を見ただけで、学問を一口で説明することなど、とてもできないと感じてしまうでしょう。
確かに、学問が対象とするものは多様で、というよりも対象であるための特段の条件がないので歴史とともにその対象は増えつつあり、学問の歴史とは、対象が増えてゆく歴史だといってもよいくらいです。しかも、対象によってはあまり意味のある成果を出せずに滅びてしまうものもあり、成功したものが学問領域として生き残るという歴史を持っています。したがって、今私たちが大学で学問と呼んでいるものは、歴史的結果であると同時に最終結果ではなく、これからも無限に変化を遂げてゆく可能性のある存在です。
このような学問をこれから学ぶためには、どのような態度で臨めばよいのかをここで考えてみます。すでに大学に入学する前に、学校で多くの学問に触れていて、その輪郭はわかっているでしょう。数学、理科、国語、英語、歴史、社会、地理、などを学び、それぞれについて対象を理解し説明する方法を学んだと思います。
しかも、これらは互いの関係を考えなくても対象を理解することができる独立した知識のまとまりであることを認識したはずです。ここで学問分野とは、この独立した知識のまとまりに対応したものだと考えることを出発点にします。
大学では、学問の構造ができていて、大きな分野の中に細分化した領域があります(ここでは大きな分類を「分野」、分野の中ではっきり区分けできる部分を「領域」と呼んでおきます)。例えば身近な工学分野には、機械、電気、材料、情報などの領域があり、さらに機械領域の中には、機構学、振動論、弾性論、塑性学、材料力学、強度論、摩擦摩耗論など多数の小領域があります。しかも強度論には、破壊力学、疲労理論、衝撃破壊論などさらに細かい領域があります。
このように、一般的な分類から細かい研究領域まで多様であり、分野が10もあって、それぞれが10の領域を持つとすれば、100の領域があることになりますし、それがまた分かれて大変な研究領域の数になります。あなたの専門は何かと聞かれて研究領域で答えると、それは工学分野の中の何百分の一を専門にしていることになるのです。機械工学の専門家になるとしてもこれらを全部身に付けるわけにはいかないし、部分的になってしまいます。私もかつて何年もかかって学位論文を書き上げた時、うまくいったと喜んだのですが、計算すると学問全体の6万分の一の狭い領域での貢献であることがわかり、がっかりしたことを思い出します。
これは学問の細分化問題と呼ばれて、専門家が知識を使用する場面で見落としを起こす可能性があり、実際に問題を起こしています。機械工学でいえば安全問題が、情報工学でいえばセキュリティ問題があります。
この問題は、無限に、しかも急速に増えてゆく学問の知識を手にした現代の人類にとって、無視することのできないものです。その解決のためには、学問的知識がどのようにして作られているかを考えなければならない時代が来たといえます。
昔の学問は、思想家が全身で考えだす真理というようなものでしたが、次第に厳密な条件が与えられるようになり、世の中にある未知の現象を支配している法則を発見するためには、関心の対象の明示、その分析、理解のための仮説、仮説の実証という手続きによって曖昧性なく法則を発見することが必要という考えが定められます。
この始まりは、コペルニクスやケプラーの天文学者の天体観測、それに基づく学説の主張があり、続いてニュートンが力学法則を仮説として提出し、それを定量的な観測によって法則の正しさを証明するという16世紀の物理学の始まりに原点があります。ニュートンの法則は、彼が期待したように世界の現象すべてを説明したのでしたが、それは物体の運動という限定された世界のものでした。彼はほかに光の世界、物質の世界があることを認め、光学の法則、物質の法則と次々に法則を発見することで世界を説明しつくす計画を持っていたと思いますが、実はその後、物質の多様性だけでなく、電気、磁気、放射線など様々な現象が現れ、それぞれに別の法則が発見されることになり、それぞれが領域を作っていった結果、多くの領域ができることとなりました。
一方領域間の関係の研究も進み、力学的運動と光を合わせた世界をアインシュタインが相対性理論で描き出すこともあって領域の統合も行われましたが、現実には新しい法則だけでなく知識利用の便利さで古い法則も生き延びて、その分だけ領域の数も増え続けているのです。
学問は物理学だけでなく、文学、法学、経済学などの文系学問もあり、物質科学は量子論、さらに素粒子論も巻き込んで大きな分野に成長しつつあります。現代では特に生物学と呼ばれた分野が生命科学と名を変えて、全く新しい法則を生み出しながら巨大な学問分野を作っています。
このような学問領域の増加は知識の増加ですから、知識を利用する側から言えば豊富な材料があることになり、人類への学問の恩恵が増え続けるのは確かです。しかし使用する人間は有限で、果たしてこれから人類は生み出された知識を十全に使いこなすことができるのか、このことを慎重に考える必要があると思われます。
さて、このような問題をどのように解決するかを考えてゆくと、ここにも私たち専門職大学の新しい役割があるのです。以上に述べたことは、簡単に図解すれば、学問領域別に組織化された多くの知識生産者がいて急速に学問的知識を作り出しているのに、それを使用する社会の側は組織化が遅れ、提供される知識の恣意的使用、知識の持つ意味の不十分な理解のもとでの使用などによって恩恵だけでなく困難な問題を引き起こす可能性があるという状況です。それは不適当な知識使用による環境破壊や貧富の拡大、また災害の大型化、過度な競争による知識の浪費、情報産業における過去には経験したことのない独占、など、すでに世界を覆いつつある問題と関連します。これらの問題状況を前にして、多くの場合、その原因が知識の使われ方にあると考える習慣を私たちは持っておらず、その状況を解決するための新しい知識を待つことしかしないというべきでしょう。
このような現代の問題の基本的解決のためには、知識生産とその使用を統一して考える能力を持つものが社会の、特に産業の主役になることが必要ですが、それは専門職の定義に当てはまります。専門職大学では、学問を学び、実務を身に付けることが学習の目標ですが、それは次のような学習内容です。各学科における専門科目の学習と演習にとどまらず、「地域共創デザイン実習」「臨地実務実習」などの実習科目による、学科で学んだ知識をみずからの動機に基づいて使用する経験を通じて、学問の意義と、その使用の結果の社会への効果について実感的に学ぶことになります。
これはただ学問と実務の両方の力を持つということを超えて、現代の学問の状況が潜在的に持つ深刻な問題に対応する鋭い感受性を持って行動するために必要な能力です。しかも専門職としての経験は、いずれまとめられて一つの新しい学問分野を作ることにつながります。
実はこのことは、天文学者ケプラーと同時代の哲学者デカルト1)が、物事を理解する方法は、細かく分けて分析するだけでは不十分で、分けたものを組み立ててできるものを見極め、そのうえでできるものすべてを枚挙しなければならないといったことの、現代における実行だといえます。分析が科学者だとすれば、組み立てるのは“Designer in Society” であり、私たちはデカルトが指摘しながら400年も人類が放置してきた課題に挑み、新しい学問を生み出す使命も負っているといえるのかもしれません。
[引用文献]
1)デカルト 方法序説 谷川多佳子訳、1997、岩波書店
INDEX