International Professional University
of Technology in Tokyo
学長メッセージ
東京国際工科専門職大学 学長
吉川 弘之
【第1回】進化の方向を求めて
COVID-19は経験したことのないウイルスによる病、しかし医師たちの努力によって感染の特徴がわかりつつあります。それは私たちの生活に大きな影響を与えており、今後どうなってゆくのか、すでに世界は深刻な状況にあり、長期の対応策を緊急に定める必要があります。対応策は社会状況の変化を要請し、特に急がれる経済的視点からの変化の見通しが立たない状況が世界的に出現していて、社会的な深刻さが増しています。
相手は未知のウイルスですが、私にはこのウイルスが生み出しつつある状況が私たちのすでに経験している様々な地球環境変化と似ている面があるように思われるのです。例えば地球温暖化は、人類が行動範囲を拡大しながら豊かさと安全を求めて来たことの副作用として生じたものであると考えられています1)。そしてこの豊かさと安全とは次々と生み出される知識によって実現されてきたものですが、その知識は科学的知識が中心であると考えてよいでしょう。
このような人間の行動の進歩によってもたらされる困難な課題には、温暖化の他に生物多様性減少、資源枯渇、排出物増大などの自然環境の変化とともに、社会的にも国家間緊張、技術力による経済格差、労働需要偏在による生活格差などがあり、いずれも未解決です。温暖化の場合は、その危険が科学者によって指摘され、その結果理系文系の科学者を含み、政府、産業も協力する国際的協力によって対応する体制を築き上げつつあります2)。他の課題も温暖化のように科学者の適切な指摘によって国際協力体制を作る道が拓けることを私は願っています。
ところで長い歴史を通じて人類が地球上で数々の外敵に会い、それを克服しつつ進歩してきた歴史を考えるとき、上に述べた副作用である課題が過去の外敵とは全く違うことに気づきます。同じ戦わなければならない相手と言えますが、それらは人間の知識や活動に起因している新種の敵、いわば内敵というべきものであることに特徴があり、過去の外敵と全く異質であることから、『現代の邪悪なるもの』と呼び3)、外敵の場合のように科学知識を新しく作れば克服できるものでないことが明らかとなったのです。
今のウイルスは、一見過去の外敵のように人間社会の外から襲ってきた外敵のように見えます。しかし、それは過去に人類が猛獣に襲われたのと同じとは言えないのです。その感染はグローバリズムという社会現象による人の移動の急激な増加が原因しているのは明らかです。それは経済の仕組みの変化、それを支える技術の多様化、観光業など新産業の肥大化などを含み、自然の外敵とは違って人間行動そのものです。
これを単純に外敵と考えるなら、医学、薬学の専門家によるワクチンを含む薬の開発で対抗することになるのですが、今の現実でそれが主要な対応であるにせよ、すべての人が日常生活を大幅に変える事がこの敵と戦うために必要であることがわかってきたのです。その結果、当然のこととして社会的機能は大きな変化が余儀なくされ、これは人間行動の進歩による負の効果である『現代の邪悪なるもの』に分類されると考えざるを得ないのです。地球温暖化にたいしては、社会全体が省エネルギーや新エネルギーへの転換などによる二酸化炭素削減に努力中ですが、それは社会全体、そして人々の主体的な努力が重要なことが明らかになっています。一方現在の状況は「新しい日常」と称して様々な自粛要請を人々が守ることになっており、地球温暖化の場合と似ているのです。
しかしながら、ウイルス自身が変化する点は地球温暖化とも違います。その変化はウイルスが生き延びるための進化であって、温暖化のようにその原因である人間行動を止めれば解消するというものではないのが新しい問題点です。
このようにして今、人類は『進化する現代の邪悪なるもの』というさらに難しい新課題に対応する知恵が求められていることになりますが、これは従来の科学技術的研究開発では実現できないと思われます。従来の科学的知識には厳密に体系化され専門化された自然科学分野と、その応用としての領域化した工学分野が存在し、課題に応じて必要な分野が適用され、成功してきた歴史があります。ここには、確立した専門分野の組み合わせによる応用という基本的考え方があったのです。
しかしながら、物理的なものと社会的なものが複合して起こる『現代の邪悪なるもの』は科学知識の構造に対応しない、領域を超えた対象であり、しかもそれが『進化』するから対応側も柔軟に知識内容を変える、すなわち適応力が要請されることになります。このことから、『適応・進化する広領域』の思索が必要であることになります。
COVID-19の克服には、このように広い領域の知識を使い、しかも進化する相手に適応しながら我々も進化する事が必要なのです。すでに私たちは、新しい日常という名のもと、自粛する生活で、また職業で、様々な工夫をしながら生きています。それは人々が現場で新しい知識を生み出していると言うことです。
このような状況の中で、人類の進歩のための知識を生み出してきた研究と教育の拠点としての大学が何をするべきかを真剣に考えなければならないと思います。基本的には構造の改変を含む学問のあり方を考えることが中心です。長い歴史が築きあげてきた知識体系は貴重な財産です。しかし今、知識を作り出せば必ず進歩するという図式は壊れ、次々と出現する『現代の邪悪なるもの』の解消という新しい課題を前にして、これからは知識を作るだけではなくその使い方に深い関心を持つことが必要です。
今、知識を創出すると同時にその使い方をも創出して『現代の邪悪なるもの』に対処し、またその出現を阻止することが学問に要請されているのです4)。使い方は学問としては未完成であり、それに向かう特定の学問分野が整っているとは言えません。しかし、それが求められているという認識のもとに、知識が現実に使われる現場にいて、「使われる」ことに強い関心を持つ我々東京国際工科専門職大学は、学問的知識の使い方に鋭敏な感受性を持つ人々の集まりです。変化しつつ多様な要素を持つ課題への対応は一人ではできず協力が必要です。この協力とは、異なる能力を持つ人々の集団が、ひとり一人の能力を元素として強力な集合構造を作ることですが、そのためにはひとり一人の能力の進化と同時に協力関係の進化が必要です。我が大学の教員は、様々な学問的背景に加え、予測を超えて変化する社会の中での経験を背景として、そのことの重要さを理解している専門職です。
更に、今年の緊急事態宣言のもとでの開学という、予想もしなかった状況下で遠隔での開学行事と正規授業の開始とを見事にやり遂げた教員たちは、この過酷な協力を通じて協力とは何かを理解し、これからの協力を研究と教育の現実において続けてゆくであろうし、これからも起こるであろう問題への対応を、変化の本質を見抜きながら対応する『進化』する組織として新しい仕事をすることが期待されます。
そして同じ経験をした学生は、自らの夢を実現することの意味と方法について、この困難な状況の中で改めて考えたと思います。ここにも変化する外界への適応という『進化の原型』がありそれは若者にとって、また大学にとって貴重な経験であると思います。
[引用文献]
1) World Conference on Science, UNESCO, 2000(通称ブダペスト会議、ICSU-UNESCO, 1999)
2) パリ協定 2017(国連気候変動枠組条約に加盟する全196カ国全てが参加する枠組み)
3) 吉川弘之ILLUME 第7号 1992 p.41-56
4) 吉川弘之 一般デザイン学 岩波書店 2020
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