International Professional University
of Technology in Tokyo
学長メッセージ
東京国際工科専門職大学 学長
吉川 弘之
【第4回】『自由な夢』から『実現可能な夢』へ
東京国際工科専門職大学では、『自由な夢』を持った新入生が卒業までの4年間に、それを『実現可能な夢』へと育ててゆく過程であると考えています。その間の学びは、各コースに準備されたカリキュラムに沿って、技術を支える科学的理論を学び、また夢を実現するために実習や企業の経験などによってその方法を学び、実際に『実現可能な夢』をつくりだすというものです。
ここで『自由な夢』といったとき、それはどのようなものかを考えてみます。自由ですから本当は何でもよい。しかしそれでは漠然としすぎている。夢とは何かを考えるのも大切な仕事のように思えます。
有名な歴史の話として、ライト兄弟が「鳥のように空を飛びたい」という人々の夢を実現したという話があります。一方トーマスエジソンが、「クレオパトラの声が聞きたい」という夢を出発点として蓄音機を苦心の末に発明したなどという話1)は、個人の独創的な着想を出発点として実現まで行くという意味で、真偽はともかくわかりやすい夢の話です。エジソンの自由な夢は人々が気づいていない新しい機能であり、その発見から実現までの過程は企業間の競争などの社会の中で達成されたものですが、発明家エジソンの個性を表現する話になっています。
これらは発明の時代と言われた19世紀を特徴づける話で、夢を考えるうえで参考になります。ライト兄弟の場合、地上では馬車の時代が終わり、列車や自動車が実用化され、それが社会生活や産業を新しいものにしていたから、空を飛ぶことは次にできることとして広く「人々の夢」であった可能性があります。しかし多くの努力でも成功せず、「機械が空を飛ぶなど物理的にありえない」という学者の意見などもあり、人々にとっては実現からは遠い夢であったと思われます。そこには様々な社会的議論があって、夢を一人で育てたとは言えません。しかしライト兄弟は、流体理論、風洞実験などで可能性のあることを次第に確認しつつ「自分の夢」と位置づけ、試作を繰り返し、ついに完成したのです。
このように、人々の自由な夢は科学、技術、特別なデザインの工夫などで、次第に成長して「ライト兄弟の正式な夢」になり、さらに進めて、実際に飛行に成功することで『実現可能な夢』に到達します。もちろんそれが社会の期待する空の旅行になるまでには、多くの人々がかかわり、企業による製造、経済性評価、安全性確認など数々の関門を通って、いよいよ現実の飛行機になったと考えられます。エジソンも、今まで存在しなかった音声の記録という働きを着想してから、音声の機械振動への変換、振動の記録、必要な材料など、どれも必要な科学技術の知識を利用するだけでなく自ら理論をつくり、その結果として蓄音機の原理をつくり出して『実現可能な夢』に到達したのです。
夢とは、「未来がより良い社会になるために役立つものをつくり出すこと」といってよいと思えますが、その意味ではエジソンもライト兄弟も同じであると考えられます。18世紀から19世紀の産業革命以後、人類は科学の体系的知識をつくり上げるとともに、それまでは思いつきもしなかった数々の夢を持ち、実現して、豊かな社会をつくってきたといえるでしょう。
現代の夢も上述のより良い社会のためという定義に入ります。しかし、今の社会に生きる私たちの持つ夢は、ライト兄弟やエジソンとは違うところがあるような気もします。ここで現代の夢の例を改めて考えます。
1970年台は日本の製造技術が急速に発展した時期で、自動車などの大量生産では加工工場がどんどん自動化されていきました。しかし、ひとつ一つ異なる製品を個別に生産する多種少量生産と呼ばれる工場では自動化は無理で作業者に頼らざるを得ず、しかもその作業には機械に従わなければならない過酷な作業もありました。
そのような時代に、若い研究者が集まって多種少量生産の無人化工場をつくろうという『夢』を持ちます。専門の違ういろいろな機関から集まった研究者、行政官も一人いました。それは多様な能力を持つ柔軟な工作機械の開発という夢です。これは次々に送られてくる制御命令を使って異なる部品を工作機械が自在につくり分けるというものでした。実際にこれは長い議論の末実現可能な設計図を完成し、国際会議で発表して世界を驚かせました2)。1977年には国家プロジェクトが発足し実験機の作成に成功しました。この機械を多数配置して工場をつくれば、型の違う自動車はもちろんオートバイでも、さらに冷蔵庫でも必要な部品を必要なだけ、この工場が一つあれば供給できるというものです。
私はこのプロジェクトの一員として研究をつづけながら、別の個人的な『夢』を持ち始めました。このように何でもつくる巨大工場は、その周辺に当時は自動化できなかった組立てや塗装などの多勢が働く工場が隣接し、そこには多種の製品をつくる企業群によって巨大な工業都市ができることを予感させていました。技術が高度化するとそこに人が集まり、効率的な生産システムをつくり上げるということが、歴史的な流れとして当然であると考えられていたのです。しかし生産による都市形成ということに、私は技術が人の生活に制限を与える気がして違和感を持っていました。多種少量生産を自動化しながら、人の生活に制限を与えないもの、それが私の『自由な夢』でした。
私はこれを考えるために1977年にノルウェーに1年間滞在しました。そこには友人のOyvind Bjorke教授(ノルウェー工科大学生産工学科)がいて、彼自身の哲学に基づくシステムを開発していました。ノルウェーもそのころ急速な産業化を進めていましたが、工場に人が集まらないという状況を解消するという問題を解くのが目的です。
当時日本と同じ国土面積に300万人の人口という過疎国家で、漁業、農業、林業などに従事する人は先祖から住む場所を離れたくないと考える。そこで、従来の考えとは逆の「技術が人のいる所へ行く」という考えに到達し、これに従うシステムを考えます。それは数軒の家族がつくる漁村に、高度に自動化した機械を置く。これは多種少量生産ができる自動工作機械で、部品を生産する。機械の操作は電話線の通信で情報を受け、つくった部品はこれも分散している組み立て企業まで高速道路で運ぶというものです。
実際に多機能を持つ独自の工作機械を開発し、自動車生産の一部に使用しました。Bjorke教授の発表は、国際会議で大きな喝さいを受けましたが、当時の計算機や通信の環境では広く実用になりませんでした。日本の多種少量生産無人化プロジェクトも、メタモルフィックと呼ばれる千変万化の工作機械を発明し人々を驚かせましたが、これもソフトウェア不足や故障対応などで実用まで行っていません。
このように、現代の夢の実現はなかなか難しく、既存の知識だけでは進めることができないのです。それが多くの人々、あるいはさまざまな社会と関係するときは特に難しい。これらの例では、まず夢があって、それが社会的期待に応えるという過程は複雑で、しかも社会的期待は技術の実現可能性を知って変わってゆく相互作用もあり長い時間がかかるように見えます。それは夢が要求する技術は多数の領域の知識だけでなく、まだ存在しないような領域の知識にまで及び未開拓の科学研究や技術開発が必要です。そのうえ、複雑化した現代社会における既存システムとの経済性の争いや使用者の感性的受容性など、推定の難しい問題も出てきます。
このように現代の『自由な夢』の実現では、自然科学のみならず人文社会科学の知識を利用したり新しい知識を開拓したりしなければならないことになり、夢の実現を目指す専門職は大変な仕事量をこなさなければならないので、19世紀の専門職といえるエジソンやライト兄弟とは違うように思えます。この問題の深い分析はともかく、基本的に言えることは、現代は19世紀に比べて人を取りまく地球環境や人工環境がはるかに複雑であり、したがって地球上の人々の期待がきわめて多様であり、それを統一的に述べることなどできないということです。
19世紀の専門職である発明家たちは『自由な夢』をひそかに自分のものとして育て、実現可能になった時に世に問うという形式で進んでいったのに対し、現代の専門職はすでに夢の段階で、多くの専門職あるいは自然か人文社会かを問わずに科学の専門家、経営者、行政者、一般の人々などと広く協力することが求められているといえるでしょう。
今までに述べた『自由な夢』についていえば、原子力ロボットでは関連分野の専門知識に加え、新しい「保全学」という分野が必要になるだけでなく、エネルギー関連の社会科学も必要であり、分散工場では通信や輸送などの社会的インフラ関連の知識が必要であるとともに、高度情報化社会における人の暮らし方についての新しい知識の体系「居住分布学」とでも呼べる知識が必要になるのです。一人の専門職にはこれらを全部マスターすることはもちろんできないだけでなく、それは本来多くの研究者の協力のもとに行うべきものです。
すでに述べたように、専門職は自分の専門に精通するだけでなく、関連分野の人たちと協力的対話ができる人たちです。多種少量生産の夢は、はじめは10人ほどのメンバーが共有する夢でしたが、メンバーがあらゆる方面の専門家などとの対話を通じて技術は広がり、無人化工場とは言えませんが、工場が必要とする情報の生産者と実体の生産者の組織の協力で大幅な自動化が可能となり、それは世界に広がってさらに進歩を続けています。分散工場のほうは、その夢が人文社会系も含む多様な専門知識を必要とするためにまだ実現には距離がありますが、その方向は次第に見えてきているといえるでしょう。
今までに述べた『自由な夢』は、一人が持つ夢というよりは、複数の人が夢見る社会的期待の一つといってよいものかもしれません。したがって、私たち専門職大学に属するものは、既存の専門ごとにつくる閉じた学会でなく、夢という専門が未確定な課題を討議して、夢の実現に必要な知識を生み出す『チーム』をつくる必要があります。それは新しい自然科学や人文社会科学の今までにはない分野かもしれないし、それらの分類には従わない分野かもしれません。そこで専門職たちは夢を話題として議論し、その実現化に協力するのです。現在の地球、人類社会の状況から言って、それらの必要性が広く予想されている現在、私たち専門職の使命は重いのです。
[引用文献]
1)Villers de L’Isle-Adam、 未来のイブ 、1886、渡辺一夫訳 岩波文庫、1938
2)H.Yoshikawa, Unmanned Machine Shop Project in Japan, Advances in Computer aided Manufacture, ed, by D.McPherson, IFIP, PROLAMAT-76, pp.3-22
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