International Professional University
of Technology in Tokyo
学長メッセージ
東京国際工科専門職大学 学長
吉川 弘之
【第5回】デジタル社会における情報専門職の役割
専門職大学という大学の「新種」が誕生しました。専門職になろうと考える人にとって、専門職の役割はどう言うものかについて関心があるでしょう。一方世の中では、専門職大学の卒業生が閉塞的な社会に新しい空気を吹き込んでくれることを期待しています。専門職自身にとってだけでなく、社会で専門職はどのような役割を果たすのかという視点からも考えておくべきことであると思われます。ここでは、本学の情報分野の専門職について考えてみます。
情報分野の能力を身に付けた本学の専門職は、その能力がどのように使われるかを知っていますが、それを行うことのできる場所が、広い社会の中のどこにあるのかについては大学での学びによって明確になるわけではありません。特に社会はいつも変動していて、どんな組織も決まった仕事を持ち続けてはいないことを考えると、希望の個別企業をはやばやと決めることには意味がありませんが、専門職にはどのような働く場所があるのかを概観しておくことは必要です。
すでに、先日授業などで、教員グループによる、働く企業や職場の実例について説明がありました。学生諸君はこれにより、将来働く場についての現実的なイメージを持てたと思います。
そこでは多くの企業が例示されたこと、またその業種の多様さに驚かされたでしょう。情報工学を学んだものは、どこにでも就職できると言える、工業だけでなくサービス業も輸送業も、農業も、そして、もちろん官庁関係もあります。また産業とは言えない芸術や文化一般にも。それは他の分野で、建築学科を出れば建築業界、機械は自動車産業、電気は計算機や通信の産業といったような、学んだ学問と就職先の関係がはっきりしているのとは違います。
かつて情報工学という学科が大学にできて、情報技術を学んで社会に出た人が、自分たちの仕事はいつもアウェー(away)で戦っているようなものだ、情報に関して理論や新技術を生みだす学問的な「本拠地」はどこなのか、という感想を漏らしていたのを思い出します。そのころは、学んだ学科によって就職先が決まる時代だったので、就職先がはっきりしない情報の人がこのように感じたのでしょう。しかし現代は、情報技術はすべての分野で必要になったばかりでなく、「本拠地」の姿を見せ始めました。それは、リアル世界に対するサイバー世界の出現です。
1990年代に、製造技術における計算機応用として、digital twinという考え方が現れます。それは部品や製品をデジタルで表現する方法で、それを使って性能評価、製造法、メンテナンス方法などを実際に製造する前に知り、最適設計を実現するというものでした。この考えは発展し、機械工場だけでなく、社会を含む大きなシステムの現実とデジタル表現とをデータ通信で結び、一体化して動かす方法を生み出しました。これはAI、IoT、データサイエンス、5Gなどの進歩により、リアル世界とサイバー世界が対等なものに近づく状況を作りつつあります。その状況では、システムを作り、また運転するとき、物理存在の専門家と情報の専門家とが協力して作業することになって、物理専門家が物理存在の理論を持つように、情報専門家は本拠地としてサイバー世界の「理論」を持つことになり、情報技術者はもはやアウェーで他の分野の本拠地を盛り立てるだけの役目ではなく、自らの本拠地を盛り立てる役目を持つ、したがって情報技術全般の進歩を担うとともに情報に関する学問に責任を持つ者となります。
物理存在の専門家が、物質、生物、人間、社会、など、実在するものであるリアルの真実を知るために長い歴史をかけて築き上げてきた「科学」、それは対象を定めたうえで観測、仮説、法則という規則に従って多くの公共的で疑いのない知識である法則や理論を作り出してきました。しかもその使い方は多くの経験に基づく工学を作りだして教科書となり、また規格や標準によって安全などが守れるようになっています。
しかし、サイバー世界は生まれたばかりで、理論も規格も不完全で、その正体ははっきりしていません。このことを私たちは身近に感じています。サイバー世界におけるウイルス、サイバークライムは当初より指摘され、情報セキュリティの分野が進みつつありますが、国際的な情報操作による社会混乱や過度の知識集中による企業収益の偏在など、対応の方法が見つからないようなことも起こりつつあります。
これはだれの責任か。政府や役所の責任、ということはできますが、問題を起こさないように規制するための法律や規則、また規格などは、情報を専門とするものの知恵が必要で、結局専門職の責任ということになります。サイバー世界は未成熟ですが、それが多様な機能を持つ要素が作る構造を持つことはリアルの社会と同じです。今、サイバー世界のデジタルアーキテクチャーの必要性が強調されています。しかし、ここでいう要素やデジタルアーキテクチャーのデザインは決して単純ではありません。
たとえばSociety5.0において、家庭内で働くロボットなどという課題を取り上げた時、「器用に作業しながら人を傷つけないロボット群」はどのような理論に支えられるのかは全く不明であるばかりでなく、おそらく試行錯誤で一歩一歩進む、いわば進化型デザインになるのではないかと想像されます。例えば重いものを運ぶ人の作業を手伝っているロボットは、人がけがをしたときは手伝いをやめて他のロボットを呼んでともに治療にあたることになる。ここで必要となるロボットの機能とアーキテクチャーの要求に、デザインはどのように答えればよいのか。このような要求の記述は、多様な科学領域の知識が必要であり、そのデザインは前例のない数々の発明を必要とする。しかしありうる家庭全部を満足させるようなシステムを作ることはおそらくできないでしょう。できるとすれば、ある家庭での人々の状態、要求を学習しながら身に付けてゆき、次第に家族の特徴を理解してその家族の要員となってゆく。ロボットには、このような学習プロセスが必要になるでしょう。人が要素として入るシステムの特性は、このような環境に従う進化を必要とするものになると思われます。このことはすでにK. Popperが「漸次的工学主義1)」と呼んだものに相当します。彼が理解するように、技術を作る工学におけるデザインというのはこのようなものであり、重要なことは、まず漸次的に行った内容を理解することにあり、ここには科学があります。そして判断を変えて次の行為を決めるときにデザインがあるのです。この過程は、科学に従って作れば機能が発揮できるという現代の工場で働く産業用ロボットのデザインとは全く異なるものです。さらに言えば、デジタル化に人々が従う企業のデジタル化とも違い、固有の人間存在を基本とするデジタル化です。これは人間を含むIoTであるとも言えて、人間独自のデザインの意図がIoTで結ばれたシステムの中に入り、結果として進化するシステムを成立させるということで、かつて言われたdigital twinが、digital triplet2)になるとも言えて、cyber-physical システム の拡大を意味します。
この新種の進化型デザインは、情報工学の一部門にだけに精通する専門家の仕事ではなく、情報全般の知識を持ち、しかも家庭、社会といった人間を含む物理的世界に関する知識が必要であることを考えれば、デザインしながらこれらの基礎学問を学びとって未知の世界に入ってゆくことが得意な専門職の重要な仕事であることがわかります。ところが現在言われているデジタル革命ではこのような仕事が必要であることが明確に示されていません。この状況を克服するために、Designer in society (社会とともにあるデザイナー)である専門職が真に人のためのSociety5.0にとりかかることが期待されるのです。
[引用文献]
1)Karl Popper, The Poverty of Historicism, Routledge, 1957, p.55
久野収、市井三郎訳 歴史主義の貧困 94ページ
2)梅田靖、次世代生産システムに向けた「ディジタル・トリプレット」の提案
日本機械学会: 生産システム部門研究発表講演会2019
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