International Professional University
of Technology in Tokyo
学長メッセージ
東京国際工科専門職大学 学長
吉川 弘之
【第9回】環境時代の情報専門職の役割
デジタル社会における情報専門職の役割を考えましたが(【第5回】メッセージ)、今度は環境時代における情報技術の専門職の役割を考えます。今は情報化時代と言われますが、環境時代とも言われています。実際、情報と環境とは一見関係のない言葉ですが、いずれも現代の社会を特徴づける言葉です。したがって社会の中で働く情報技術の専門職にとって、環境問題を無視することはできないのです。
人間にとっての環境とは、人間が生きてゆくのに必要な条件で、それが満たされなければ生存が危うくなるという極めて大切なものです。そしてもちろん人間だけでなく、他の生物種はもちろん、すべての無生物も、環境の条件が変わることによって存在できなくなる可能性があります。例えば水は、ある程度以上環境の温度が上がれば蒸発してしまい、蒸気となって液体の水は存在し得なくなるし、山や川も形を保つことができなくなる可能性があります。環境とは、すべてのものにとって存在の条件です。
そして今環境時代と言われるのは、地球環境が温暖化を中心として変わり始め、少なくとも生物にとって深刻な状況が起こりつつあるという時代であることを表しています。このように、情報化時代では新しい技術を生み出す情報技術が明るい未来を見せてくれているのに対し、環境時代は放置すれば環境の変化が続き、人類の存続が困難となるとの警告をしなければいけないという意味で作られた言葉なのです。
しかも深刻なことは、この地球環境変化は近年の人類の行動に原因があることです。よく言われるように、人間活動の拡大に伴って増加するエネルギー消費によって二酸化炭素の過大な放出が起こり、それが地球を覆って熱が放出できず地球が温暖化することが科学的に明らかになってきたことは、これからの人の活動に制限が必要ということを意味します。それは、省エネルギー機器開発、新エネルギー開発などで、これは環境時代以前にはなかった考え方です。
温暖化だけでなく、豊かな食糧生産を実現した窒素肥料は、空気の気体窒素の固定技術によって実現したものですが、これが地面にしみこんで、地球上の土壌の過大窒素状態を生みつつあり、これが生態系に影響することが指摘され、農業に新しい技術が求められています。また、私たちにとって身近な廃棄物の増大も問題を起こしています。プラスチックごみの海洋汚染はすでに大問題であり、その削減のための国際条約もできました。
このように、人間の生活を快適にする技術による行動が地球環境を劣化させるという深刻な難問が生じてきたのであり、その一つ一つに対処する新しい技術の開発がなされていますが、それだけで問題が解決するかどうかがわからないのです。それがわかるまで技術によって快適さを求めるのを停止するということも言われましたが、快適さというより生存に必要な技術を緊急に実現し開発しなければならない国や地域がまだ多くある状況ではとても停止など求めることは許されません。
このため国連は、「持続可能性(sustainability)」という考え方を作りました。それは環境を現状のまま持続できるという考え方ですが、これに基づく開発を、「持続可能な開発(sustainable development)」と呼び、技術はこのような開発を進めるためのものであるべきだという宣言を出したのです1)。それに対する答えとして科学者・技術者が集まった国際会議2)では、科学は新しい知識を生み出すだけでなく、これからはその知識を使って持続可能性を実現する知識、言い換えれば社会のための知識を生みだすという宣言を出しました。
社会のための科学、それは知識を利用する科学ですが、これは我々専門職の使命と同じです。“Designer in Society(社会とともにあるデザイナー)”とは、社会の中にいて、社会の人々の期待を感受して求められたシステムをデザインするだけでなく、自分のデザインが社会をより良い方向に向かわせることを判断したうえで結果を世の中に出すデザイナーであることを意味しています。この良い方向の一つが、地球の持続性の維持であり、環境時代といわれる現在、それが全人類の期待であることを理解しなければなりません。言い換えれば現代のデザイナーにとって持続可能な開発が重要な課題であるということになりましょう。
実際に、国連では、2015年に「SDGs(持続可能な開発目標)」を発表し3)、その実現を2030年に置いています。そこには17の目標が掲げられていて、その実現に科学技術への期待が述べられています。いくつかの例を挙げますが、これらを地球上で同時に実現することが、持続可能な開発の条件だというのです。
その例とは「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる、飢餓を終わらせる、すべての人々の健康的な生活を確保する、ジェンダー平等を達成する、すべての人々に水と衛生の利用を可能とする、各国内及び各国間の不平等を是正する、人間らしい雇用を促進する、平和で包摂的な社会を促進する」などですが、一つ一つは簡単な表現でも、その同時実現は容易でないことが理解されます。特に開発の遅れている国々は緊急に開発を進める必要があり、他方、すでに技術の恩恵を受けている国々は、地球全体のことを考えて炭素中立(carbon neutral)などのために全力を尽くさなければなりません。
製造技術の研究をしていた私たちは、すでに環境問題に対する対応を考えていました。日本は製造業の成功で高度成長を達成したのですが、一方で問題とされ始めた持続可能な開発の条件を満たすような製造業とは何かを考えていたのです。そこで今から20年以上前に考え始めたのが、「逆工場(inverse manufacturing)」という構想でした。
製造とは、まず製造企業が製品を作り、それは販売されて消費者のもとで使用される。そして、製品の寿命が来るとそれは廃棄される、というのが流れです。しかし、それでは地球上に廃棄物の山ができて持続可能性が満たされません。そこで廃棄されたものを再利用可能な原料に還元して、製品を作る企業に戻します。するとそこにはループができて物質が循環し、地球を壊して新しい材料を発掘する必要がなくなり、廃棄物の山もなくなります。これは地球への負担を軽減するから持続可能性が実現されるというものです。
この場合、今まで関係がなかった企業が新しく関係することになります。自動車にしても、家電にしても、〔製造業〕、〔消費者・サービス業〕、〔廃品回収業〕、〔廃品処理企業・材料再生企業〕など今ばらばらなセクターが、四辺形に結ばれてループを作る。この前半が「正工場」で、後半の二つが「逆工場」ですが、これらがつながっていません。その理由は、技術も経営形態も異なるために企業合併はおろか協力関係もないためです。当時はこのループを作るのは難しかったですし、現在もまだ途上というところでしょう。
ところがこの技術、経営が違う要素のループを現実的なものとするためには、ループを物質だけのループでなく情報のループにすることが必要であることがわかってきたのです。典型的な例は、〔製造業〕であるエンジンメーカーと〔消費者・サービス業〕である輸送サービス業を結びつける例で、使用中のエンジンの履歴の情報が製造業にリアルタイムで送り続けられる情報技術でした。その結果エンジンメーカーはエンジンの劣化や不具合を事前に察知し、修理や交換を行います。そればかりでなくその使用データをもとに、より良いエンジンを設計できます。これは両者がつながることによって使用現場から従来は得られなかった開発のアイディアが自動的に生まれる例であり、経済的メリットも生んだのです。
実はこのような情報のループは、多くの開発可能性や経済的メリット生むのであり、産業構造を変えながら、また物質と情報が循環しながら、まさに生物が進化するように発展する可能性があります。特に「正工場」と「逆工場」との結び付きができると、現在自動化が遅れている〔廃品回収業〕や〔廃品処理企業・材料再生企業〕が製品の情報を入手することによって抜本的に自動化が進み、そこの作業がロボット化するなど、持続可能な開発に多面的に寄与することになると考えられます。
この考えはまだ製造業の主流にまでなっていないのですが、それは新しい情報技術の適用を待っていると考えられ、情報専門職は持続可能な開発においても重要な役割を持っているのです。このほかにも先ほど紹介したSDGsの中に、このような情報技術が必要なものが多くあります。
持続可能な開発の実現によって人類が安心して暮らす地球を実現するための産業にも、専門職を待っている場所が数えきれないほどあることがわかります。それがどのような情報システムであるかを考えるのは環境時代の情報技術の専門職にとって大きな課題であり、この分野への多くの参加が期待されているのです。
[参考]
1)環境と開発に関する国際連合会議(国連、リオデジャネイロ、1992)
2)世界科学会議(UNESCO、ICSU、ブダペスト、1999)
3)国連持続可能な開発サミット(国連、ニューヨーク、2015)
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