International Professional University
of Technology in Tokyo
学長メッセージ
東京国際工科専門職大学 学長
吉川 弘之
【第10回】専門職が入っていく「社会」とは
本大学で学ぶ皆さんは、情報の専門職であり、“Designer in Society (社会とともにあるデザイナー)”として社会に出ていくことが期待されています。それは学問を身につけた分野ごとの専門家であるだけではなく、職であること、それは身につけた専門的知識を使って社会で新しい価値を作り出す、言い換えればデザインする人であることが強調されます。
専門職とは何かについて、本欄では色々と考えてきましたが、ここでは、専門職が入って いく社会について考えることにします。
社会とは何か、私達は社会という言葉を何気なく使っていますが、考えてみるとこの言葉 は広い意味を持っています。社会学という学問もあり、高校でも社会科という分類があるように、広く学ぶべき内容を持っていますが、社会が何を指すのかは漠然としているように思います。
私達社会学の専門家でない者にとっては定義が曖昧です。専門的な研究分野としては、ゴリラの社会学1) ,蟻の社会学2)などがあり、この場合は対象がはっきりしていますが、ここで問題になるのは人間の社会です。
さて現在、新型コロナウイルスによる感染が依然として猛威を振るっていて、多くの制限を受ける生活を強いられています。振り返れば、この状態は1年以上前に始まり、ちょうど1年前の本学の開学時には緊急事態宣言が発せられ、教員・職員は初めての経験であるオンライン技術を利用した入学式を始め、その他の入学の行事や授業などをオンラインで行わなければならない状態に追い込まれました。
その時の状況を、この学長メッセージの最初の回(【はじめに】)に書きましたが、我が国だけでなく、世界の国々でもそれぞれの状況の中で忍耐の生活を強いられながら、コロナウイルスに対応している人々がいること、その対応は様々で、世界には多くの国があり、そこで多様な人がいろいろな方法でコロナウイルスと戦っているのを知ることになりました。今まで漠然と考えていた世界が、明確に実在の人間が生活する社会であることを実感したのでした。それは1年後の今も、はっきりと感じられます。
ここで実感した社会を思い描きながら、改めて“Designer in Society”が入っていく社会のことを考えます。まずあなたが知っている「人の集団」を社会と考えてみましょう。あなたが生まれたばかりの社会とは何か。これは誰にとってもあなた自身と母親の二人しかいない最小の社会でしょう。そこに父親が現れ、看護師、医師が現れて、赤ちゃんであるあなたの社会は広がってゆきます。
次に家族が社会となり、学校に入れば友人が社会となる。もちろんそこには先生や事務の人もいます。一方で、学校などでの学びや経験によって、様々な社会の必ずしも身近に経験はしていない側面を私達は知るようになります。多くの国々、そこにある様々な機関に属する人、多様な職業の人などは、それぞれ組織として集団を作っていることを知り、いっぽう人類全体を構成する個人は、人種、ジェンダー、年齢などの固有の属性を持っていることを知ります。
このように多重の構造を持つ社会が「実際の社会」であり、私達“Designer in Society”はそのような社会に入っていくことになるのです。これは漠然と私達が考えている社会とは違うようですが、実は同じものです。
私達が入っていこうとする社会、それを漠然としたものから一歩進んで、自分で理解する対象として捉えるにはどうしたらよいか、これは社会の複雑さから言って大事業のように思えます。事実理解の方法で確定したものがあるわけではありません。人間社会の学問では古くから様々な研究がされていますが、結論は出ていないと考えてよいでしょう。そこでここでは、社会学だけでなく、経済学、政治学など、やはり社会を扱う分野で用いられるわかりやすい見方に従って考えることにします3)。
それは社会には、その構造を作る原理として3つの「機能」があるとするものです。3つとは「言語、法律、貨幣」であるとされます。これだけではなんのことかはっきりしませんが、世界に広がって暮らしている人類は、ばらばらではなく、これらによってなんらかの関係を互いに持つという考えです。
関係を持たせる能力を持つものを「機能」と呼ぶと考えましょう。確かに言語は国や民族と対応しているし、法律は国内だけでなく特定の国の間の関係も規定しています。このように、国家、民族、国家間の関係(国際)などの、漠然とした社会に「構造」を与え、私達の理解を進めます。
更に貨幣は、情報化時代で揺れ動いていますが、少なくとも手にした貨幣は世界のどこでもおそらく通用するものとして、全世界を経済という視点で実感する存在物です。そして現代における一人ひとりの行動は、多くの点で経済、したがって貨幣と関わり合うことを実感しなければなりません。
さて、このような簡単な考え方で、これから入っていく社会という抽象的な対象を、少しは感覚的に捉えたということはできるでしょう。この考えの学問的意義は社会学、そして言語学、政治学、経済学、などを総合的に考えるために有効とされています。しかし私達の関心はそこにはありません。
私達は、これから入っていく社会と自分との関係を考えます。専門職として社会に入っていく、そこにはどのような人がいて、どのような関係を結んでいくのか。初めは生まれたばかりの子供のように、少数の人々が待っていることでしょう。そして仕事を通じその輪が広がっていきますが、それだけではなく、自分の専門的能力を活かす対象としての社会が次第に見えてくるはずです。
それはどのような構造、あるいは分類の人たちなのか。ここで考えなければならないのは、そこで会う人は、前述の3つの項目によって構造化された人々では定義できないことです。専門職が考えているのは、身につけた専門的な学問と実務能力を周りの人々と協力しながら新しい価値を生み出し、それを広げてゆくことです。
しかもその結果それを直接受けた人だけでなく、その効果が広がって社会全体がよくなっていくことを夢として持っています。社会の豊かさ、安全、平等、信頼、そして人々の仕事が自発的に能力を伸ばせるような職の創出、また災害のない社会、戦争のない社会の実現などへと広がっていくでしょう。それは専門職が社会で仕事をする原動力である夢に潜在していると考えます。
このような専門職の行動原理を生み出す仕組みは、前述の3つの項目からは見出すことができません。これらは人間同士が行動するときの原理を表していると思えますが、もしこのような原理を専門職として考えるならば、そこには違う項目を加えなければならないように思います。それは人間の関係として、誠実、友情、思いやり、感謝、尊重、違いの認識、等様々な項目があり、言語、法律、貨幣ではとても言い尽くせない内容があります。しかし、この3つのように包括的な表現にまとめるなら、それは「人間性(humanity)」4)という表現になると思います。
やや極論かもしれませんが、私は、初めの3項目だけで社会の仕組みを考えることが現在の世界情勢を不安定、あるいは危機的にする原因なのではないかと考えていて、これからは「言語、法律、貨幣、人間性」と考えるべきだと考えています。
本学で情報に関して学び、そして実際に社会で情報技術をどのように使うのかを学ぶ過程が、技術と社会を同時に考える機会となることが期待されます。
[参考]
1)山極寿一 ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」 毎日新聞出版、2018
2)E. O. Wilson The Insect Societies Harvard University Press 1971
3)岩井克人 なぜ人文社会科学も「科学」であるのか 日本学士院 談論会資料2021.3.12
4)Russell-Einstein宣言 1955 Pugwash History series、No.1、2005
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