International Professional University
of Technology in Tokyo
学長メッセージ
東京国際工科専門職大学 学長
吉川 弘之
【第8回】私たちに学問を作ることができるか
本学の教員や学生がどのような人かを表現するために、私たち自身を“Designer in Society(社会とともにあるデザイナー)”と称しています。簡単に言えば、人々が今、何を求めているか、社会がどのように進んでいくことを願っているかなどを察知する豊富な感受性を持ち、察知したものを実現する手段を学び創出しながら、実際に何かをデザインし続ける人ということでしょう。
そのために専門職大学が設置され、目的を共有する教員や学生が共同体を作っていることを述べるとともに、大学である以上この共同体は固有の学問を持たなければならないことに触れました。しかし専門職大学は新種の大学ですからこの学問はどこかにお手本があるわけではなく、自分で作り上げて行かなければならないものです。学問の歴史は長く、文科から理科まで、多数の学問がすでに作られています。これらはいずれも科学的方法で客観性が保証され、だれもが使用できる知識であり、それぞれは専門領域として独立していて学ぶことができ、それを身に付けた人々が社会には大勢います。
そんな中で、できたばかりの我が東京国際工科専門職大学という小さな集団が新しい学問を作ることができるのかという疑問を誰でもが持つでしょう。この疑問に答えることは難しいのですが、ここではまずこの疑問とは何かを考えることにします。
改めてデカルトについて触れますが、彼の精神指導の規則です。その中の一つ、「分析の規則」は、ある難問を解くためにはそれをそれ以上分けられない小部分に分ければ一つ一つは直感的に理解できるから、その全体が難問の理解である、というものでした。ここで「難問」を未知の物質と考えれば、小部分とは分子や原子であり、それを理解すれば物質がわかるということですが、理系の科学はほとんどこの方法を採用して対象を理解します。
しかしデカルトはこの分析だけでは本当に理解したことにならないと言っているのでした。要素に分けて小部分になったもので理解することに加え、要素を一つ一つ組み立てて複雑なものを作ってみて何ができるかを知ることで「総合の規則」が満たされ、この作業を全部試みて何ができるかを数え上げる「枚挙の規則」があってそれをクリアした時理解したことになる、と言っています。
わかりやすく言えば、レゴという遊びがあります。それは最初四角な箱に部品が詰められていますが、それを分解して部分を知ることができる(「分析の規則」)、部分を一つ一つ使って組み立てると自動車や飛行機などいろいろなものができる(「総合の規則」)というものですが、何ができるかの全部を知った時「枚挙の規則」が満たされて、その時初めて箱詰めのレゴの本質がわかるという考え方です。分析だけでは物事の本質はわからない、総合によって何ができるかを知ることも理解のために必要ということです。
これは、分析の結果だけで得られた知識、これが現在の科学的知識ですが、その知識だけで新しいものを作ったり行動をしたりすると、結果の中に悪いもの、環境破壊、大量破壊兵器、セキュリテイー欠損、などが生じる可能性があります。そして忠実に現在の科学を使うだけでは、この悪いものを無くすことはできないということを、「総合の規則」と「枚挙の規則」で主張しているのだと解釈されます。「総合の規則」とはデザインの理論であると言えます。よいものだけを作って悪いものは作らないために必要な現実のデザイン行動のための理論で、現代の科学理論には含まれないものですが、その理論に従うために私たちデザイナーはどの様に行動すればよいのかはこの段階でははっきりしません。
そこでさらに詳しくデカルトに聞きます。彼は、分析で理解できるまで小部分に分けたものがありますが、それを「もっとも単純な小部分から始めて、一つずつ階段を昇るように、もっとも複雑と思われるものまで登る」と言うのです。しかし私たちデザイナーは、このような規則に従っているでしょうか。確かにデザイナーは何もないところから始めて、完成品まで到達し、それをデザインと呼びますが、その間にはデザインの思索過程が存在しています。しかし多くの場合、その過程は詳細に意識、あるいは記憶していません。むしろ着想とか気づきと言って中途段階を省略し、分析で得た小部分で作った階段をいくつか飛び越しながら完成品に上り詰めるのが一般のデザインです。それは直観あるいは着想と呼ばれ、デザイナーの特技であるとも考えられます。しかも現在は、この飛躍がデザインの独創性を決める要因と考えられ、歓迎されてもいるのです。
確かに現在の、デカルトに忠実な一つ一つ要素を意識した思索過程で作り上げていくことは面倒であり、時間もかかりすぎ、競争時代の速さについていけないという状況があります。しかしこのことが、デザインの結果である現代の人工環境の全体に問題を起こしているとすれば、このことをもう少し考えなければ我々は取り返しのつかない難しい環境を作ってしまう恐れがあります。それを考える資料は、技術の世界では決して豊富ではありません。そこでここでは一つの例を紹介します。それは森林のデザインについての話で、フランスのアルプス山脈西端のプロバンス地方を、1913年に一人のキャンパーが長い旅をしたことから始まり、1945年までそこを何回か訪れた話です1)。
〈わたしがそこを初めて訪ねた時、そこは荒れ果ててラベンダーしか生えていない、過酷な土地で水もなく苦労するが、たまたま一人の50歳ぐらいの羊飼いの男に出会い家に泊めてもらう。その土地にはまばらに家が建ち人が住んでいるが、お互い協力することは全くない冷たい関係であった。泊めてもらった夜、わたしは男がどんぐりの入った袋から、一つ一つを取り出し子細に調べながら、選び出しているのを見る。そして翌日男が仕事に出るのについてゆくと、男は鉄の棒で荒れた地面に穴をあけ、ドングリを一つ埋めた。地形を確かめながら、次々と穴を掘り埋めてゆく。何をしているのかという私の問いに、ほとんど語らない男は、ドングリはこれだけ蒔いても2割しか芽が出ず、出てもネズミにかじられて、半分になってしまう、と静かに答えた。気が付くとこの土地に1万本の樫の林があった。これが男が今までに埋めたドングリの結果である。わたしが彼に30年後には立派な樫の林になるでしょうと問うと、男は「もし神が命を預けていてくだされば、今の1万本が大海の一滴に等しくなるほどのたくさんの木を植えているだろう」と答え、さらに土地を詳細に調べ、ブナやカバが適したところにはそれらを植える計画であるという。そして10年後に尋ねると木々は成長し範囲も広がっている。それは自然林の美しさを持っていた。1935年にはこの自然林が認められ尋ねる人も多くなった。もともと放置された国有地で、1945年には国家のもとで安全に管理され多くの若者が住み、美しい自然の中に新しい文化も生まれ、有名な場所になる。かつての廃墟のような自然が全く姿を変えて素晴らしくなった同じ場所を尋ねたとき、わたしは87歳になった男に会い前と変わらぬ静かな会話を交わすことができた。たった一人の人が、自分の肉体と精神だけで理想郷を作るのを見て、人間の力の大きな可能性を感じるとともに、そこには独自の精神と思想があったことをわたしは認識した〉
という話です。ここには一つ一つのドングリを、それが適合する場所に埋めるという行為の数えきれないほどの繰り返しが、40年にわたって続けられたという事実があります。ラベンダーを機械で刈り取り、土地に森林の設計図を書いて、トラクターと植林機械で、短時間に遊園地を作るのとは違い、そこには一つのドングリの選定とそれが適合する適当な場所の発見という「一段の階段を昇る行為の何万回」があって、結果として荒れ地に楽園を作ったのであり、それは、羊飼いの大きな夢と、土地とドングリの関係についての科学的な知識に基づく計画、そしてそれに忠実な40年にわたる一歩一歩進める行為があって初めて実現できたものです。この夢と計画と実行はデザインに他なりません。しかもそれはデカルトの精神指導の規則に忠実に従っています。その結果が理想的な美しい、人々が集まって旅行し、住処を作る文化にとんだ自然林なのです。
この話は、ただの美しい寓話と考えるだけでは済まない多くの内容を持っていると私は考えます。それは一人の人間の行為が、社会を動かす仕組みとしての政治や行政にはできないことを成し遂げるという現実です。この小説『木を植えた人』の著者ジャン・ジオノは、出版社から実在人物をモデルに書いてくれと頼まれたのに、結果的には実在の人ではないフィクションとしてこの小説を書いたのですが、それは著者の夢であったとも考えられ、その夢が社会に出て実現を待っているのかもしれません。
ここで、本題の小集団である我々に何の歴史もないデザイン学を作ることができるのかという疑問に立ち返れば、それはできるというのが結論です。実は何かを作るという行為や思索の方法はいわゆる論理学や数学ではできず、科学では十分に説明できない過程が含まれるのです。その過程とは、実は科学でも中心的な過程で、いろいろな実験や経験から法則を導き出す過程は帰納では不十分であり、それは論理学の世界では中途半端な推論しかできないアブダクション(遡源推理)で、一般には着想あるいは洞察と呼ばれるものなのです。
これは不思議な人間性によるとされ、科学理論の仲間に入れてもらえないものなのに科学にとって最重要なものです。そしてデザインでの一つ一つの階段を登る思索が、実はこのアブダクションなのです。小説の男が、ドングリをじっと見て、これはこのような土地に向いていると決めるのは、どこにも法則などなく、男の経験と、それに加えて夢を実現する対象である森林への愛情です。
突然愛情が出てきましたが、この背後にはアインシュタインがいます。ある時、科学哲学者のカール・ポパーがアインシュタインに、「相対性理論の法則にどのようにしてたどり着いたのか」と聞いた時、彼は「そこには説明できるような考えの過程は存在していない。あえて言えば、私の知に対する愛情が導いてくれたのだ」と答えたという記録2)があります。
私たちは、多くの難しい論理や数学、規則などを学ばなければなりませんが、それに加え、作ろうとするものに愛情を持つこと、その愛情がどのようなものであるかが、わが大学固有のデザイン学を決めることになりその答えがどのようなものになるかはこれからの仕事ですが、この時点ではデザイン学を作る道が存在しているということだけは信じてよいというのが私の結論です。
[引用文献]
1)ジャン・ジオノ 「木を植えた人」原みち子訳 こぐま社 1989
2)カール・ポパー 「科学的発見の論理」大内義一・森博訳 恒星社厚生閣 1971
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